競馬のジャパンカップ 名場面

中央競馬で最も賞金総額が高いレースの一つであるジャパンカップは近年、有力な外国馬の出走があまりなく、優勝争いの中心は日本の競走馬となっていますが、1981年に創設されてから1990年代にかけては、凱旋門賞やブリーダーズカップ・ターフなどの大きなレースを優勝した一流馬が出走してきていました。そんなジャパンカップにおいても、日本の競馬史に残る名場面が繰り広げられています。

第1回のジャパンカップでは、短距離戦線で活躍していたサクラシンゲキが、1000mが58秒を切る非常にはやいペースで逃げをうちました。このときのレースぶりから、この馬は日の丸特攻隊のニックネームがつくことになりました。第1回では当時のG1級競走の優勝馬を含めて8頭が出走しましたが5着が最高で、4着以上はすべて外国馬、しかも当時の日本レコードを上回るタイムで入線し、日本勢は完敗を喫しました。

初めて日本馬が勝利したのは1984年の第4回競走で、勝ったのはカツラギエースです。この年は無敗でクラシック三冠を制したシンボリルドルフの出走が大きな注目の的でしたが、カツラギエースの大逃げの前に3着に敗れました。そのシンボリルドルフは翌年の第5回競走で優勝して雪辱を果たしました。

1989年に行われた第9回競走は、マイルチャンピオンシップで死闘を制し、連闘で出走してきたオグリキャップが、ニュージーランドから招待されたホーリックスと接戦を演じました。勝ったのはホーリックスでしたが、タイムは当時の世界レコードであり、2002年に東京競馬場の馬場改装工事が実施されるまでの間、同競馬場のコースレコードとなっていました。

ジャパンカップ